ラージスケールの風水

理想の風水スポットとは?

 はじめに、山や川といった大きな部分での風水をみてみましょう。
 風水では、良い気(生気)をいかに多く取り入れるかが重要です。気持ちの良い自然を取り入れようとするとき、風水師が判断の基準としてきたのは、「山、水」と「方位」です。韓国や中国では、建物は@北、東、西を山に囲まれ、A一方が開けていて、B南方に川や池など「水」をたたえ得るような地形環境に建てるのが最も良いとされます。ここで、理想的な風水モデルを説明しましょう。


四神相応の地
 右のイラストは、快適エネルギーを一つも逃さない完璧な吉相図です。

北の山脈aは祖山、bは宗山(そうざん)といい、気のエネルギーが発生するところです。
 fは穴(けつ)と言い、人体で言えばツボにあたる、生気が満ちあふれる最高の場所です。
気は山の麓へ流れ降りて穴にいったん貯えられます。
 集まった気を散らさないように穴を護る、南を向いての左壁dを青龍(せいりゅう)・左砂(ささ)と呼び、右壁eを白虎(びゃっこ)・右砂(うさ)と呼びます。しかし、左右の砂がない場合、松のような常緑樹を抱護(ほうご)の松(c)として植えるのです。
 gは明堂(みょうどう)と言い、気が集まる広場です。できるだけ大きく開かれていることが強運を呼びます。
 iは集まった気を止めるために川や池があればいいのです。水には気を鎮め、エネルギーを受けとめる作用があります。北の山から来たエネルギーを南の水が受ける、南北軸は生命エネルギーの経路なのです。
 hの案山もjの朝山も、穴を護っている南の砂です。小さい方が気の流れを邪魔しません。

 後方(北)に玄武(げんぶ)という亀の怪物(どっしりした山)、前方(南)に朱雀(すざく)すなわち不死鳥、左(東)に青龍(せいりゅう)、右(西)に白虎(びゃっこ)。これらの四霊獣が四方を護っているように見える地形環境を、「四神相応(ししんそうおう)の地」と呼びます。

平安京は風水ハイテク都市!!

 古代から近世に至る日本の都市は「四神相応の地」に造られたと、さまざまな歴史書にうたわれています。藤原京、平城京、平安京のみならず、江戸もそうだといわれます。
 たとえば、奈良の平城京が造られるおり、『続日本記』には「四禽(しきん)、図にかない、春日(かすが)、奈良、生駒(いこま)の三山は鎮めとなり、地相を占った結果もまためでたい」などと書かれています。ここにいう「四禽」こそ「四神」にほかなりません。

 日本の古代都市は風水的に見ると、どうなっているのでしょうか?
 まず、イラストを見てください。北から南に走る龍脈(りゅうみゃく)上に、平安京、平城京、藤原京、熊野が、まるでずらしたように一列に並んでいます。この南北軸である龍脈(エネルギーの通り道。血管と同じで断ち切ると自然が死んでしまい、人間にも悪影響が出る)は生気を集め、使いきった生気を去らせる流路です。都が新しくなるにつれ、エネルギーの強い北にずれていくのがわかります。

さて、この軸の陸地の南端は熊野です。熊野は古くはの国と言われ、死後の世界と信じられていました。まさしく、使いきった生気の行き着く先なのです。


平安京風水図

 794年に桓武天皇が遷都した平安京についてみてみましょう(イラスト)。
 山の配置を見ると、北に鞍馬山(くらまやま)と、丑の刻(うしのこく)参りで名高い貴船(きふね)神社のある貴船山(つまり玄武)、東に青龍となる東山山系、西に白虎である嵐山があります。これらの山が強力な砂(さ)になっています。
南に平たい盆地が広がり、鴨川と桂川が合流して淀川をつくるポイントになっています(朱雀)。淀川は気を貯えつつ、ゆっくりとこれを流します。

 このほかに案山となるものもあり、船岡山(ふなおかやま)のほぼ南にある神奈備(かんなび)山がそれにあたります。平安京は、四方を十字を形成する四つの山に囲まれていたわけです。これを「十字天心(じゅうじてんしん)の法」といい、都市の中心を決めるための秘中の秘なのだそうです。これだけという形がきれいに実現された土地も珍しいのです。

 ラージスケールの風水が、古代の京を選定するにあたって使われていました。古代において、今でもよくわかっていない都市づくりテクノロジー、つまり古代ハイテク技術を一手に引き受けていたのが、陰陽博士(おんみょうはかせ)という古代日本の万能魔術博士でした。一般に安倍晴明でおなじみの、陰陽師と呼ばれる人たちの知識のメインコースに、風水が「でーん!」とあぐらをかいていたはずなのです。

 それではわたし達に一番影響のある、家の風水はどう見たらいいでしょうか。

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