ビバ!! アメリカン・ポピュラー・ソングズ

コンパスではこれまで、プラネタリウム、ストレッチ、入浴、お酒等々、心身をリフレッシュするための方法を紹介してきました。
そこで今回は、音楽による心身のリフレッシュと、今日スタンダード・ナンバーと呼ばれる、20世紀アメリカのポピュラー・ソングを紹介したいと思います。


音楽の効能
脳は左右のバランスが大切

本題に入る前に、音楽と私たちの身体の関係について、少々ふれておきます。
テレビの科学情報番組で、よく紹介されているので、ご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょうが、ヒトの脳は、右と左で機能が分れています。これは、1981年にノーベル医学生理学賞を受賞したスペリーが唱えた、ヒトの脳が左脳と右脳とで分業しているという理論によるものです。
では、左脳と右脳はどんな分業をしているのでしょうか。

左脳は「言語脳」と呼ばれ、意識、論理的思考、言語、文字、記号、計算などの機能を持っています。一方、右脳は「イメージ脳」と呼ばれ、イメージ思考、音楽、図形、絵画、パターン認識、立体認識などの機能を持っているというのが彼の理論です。このような脳の左右分化は、高等なサルや鳥類の一部に多少の例が見られるものの、ヒト以外のほとんどの動物には脳の左右の差はないと考えてよいそうです。

ヒトの脳波を調べてみると、起きている間は、特別な場合を除いて、ほとんどの人が左脳の方を圧倒的に使って生活していることがわかりました。こうした左脳に偏った脳の使い方を続けていると、左脳と右脳のバランスが崩れ、脳全体の働きが悪くなってしまうと言われています。つまり、左脳ばかりにストレスがたまる一方で、右脳は遊んでいるという状態になっているのです。
脳を健康に保つには、左脳と右脳をバランス良く使っていくことが大切です。右脳を刺激する一つの方法として、音楽を使ってみてはいかがでしょうか。

「左脳聴き」にご用心

ある実験によれば、面白いことに、プロの音楽家たちは左脳の方を働かせて音楽を聴いていることがわかりました。音楽の管轄は、通常右脳であるにもかかわらず、左脳を使っているのです。これは、どうも楽譜を思い浮かべながら音楽を聴いているためで、左脳の仕事である採譜をすることに意識が働き、左脳の活動が優位になってしまっていると考えられます。

プロの音楽家でない人は、通常右脳で音楽を聴いています。しかし、私たち素人であっても、歌詞の意味を意識しながら音楽を聴こうとすると、左脳が優位に働き、かえって左脳を酷使することになりかねません。
右脳をうまく刺激するためには、譜面や歌詞は二の次、あれこれ能書きは置いておいて、音楽にただ浸るだけの方がよいと言えるようです。

スタンダード・ナンバーの源泉
ティン・パン・アレイは、ポピュラー・ソングの卸・小売商?

それでは本題に入り、今日スタンダード・ナンバーと呼ばれる作品群が、どのようにして生まれてきたのかを見てみましょう。
19世紀末からニューヨーク28丁目、ブロードウェイと五番街にはさまれた一帯には、楽譜を販売する店が軒を並べ、ポピュラー・ソングの出版社が集まっていました。レコード・ラジオ時代以前、ポピュラー・ソングのヒットの目安は、楽譜の売上で計られていたため、ブロードウェイをひかえ、全米のエンターテインメントの中心地であるこの一帯は、当時の流行を把握するには最適の場所でした。この界隈では沢山の店から一日中ピアノの音がもれ聞こえていたため、ブリキ缶の響きのようなその音を擬音化して、いつしか「ティン・パンと音の鳴る通り」=「ティン・パン・アレイ (Tin Pan Alley)」とこの界隈を呼ぶようになったのです。

小売店や出版社には、ソング・プラガーと呼ばれた楽曲を宣伝する営業社員がおり、「ホワイト・クリスマス(*1)」を作詞作曲したアービング・バーリンや、「サマータイム」を作曲したジョージ・ガーシュインも、このソング・プラガー出身者でした。15歳でレミック社のソング・プラガーとなった、ジョージ・ガーシュインを例にとれば、彼の主な仕事は、出し物として新しい歌を探しにくる歌手たちのために、新作をピアノで弾いて聴かせるという実演宣伝を行うことでした。ジョージ・ガーシュインが、歌手でありダンスの名手であるフレッド・アステアと出会ったのも、このレミック社時代でした。

ある歌がヒットした場合、その歌手の名声はもちろんのこと、その歌が巡業で各地に広まり、他の歌手たちも出し物として取り上げることによって、楽譜の売上がさらに伸び、出版社の利潤が上がるというしくみだったのです。
しかし、1920年代に入ると、ポピュラー・ソングの媒体がレコードやラジオに変化することに伴い、ティン・パン・アレイもその役割を、放送局やレコード会社、映画会社に譲り、42丁目から56丁目西の地域に移動していくこととなりました。

*1 ホワイト・クリスマス
1942年の映画「ホリデイ・イン」に入れられ、ビング・クロスビーが歌ったのが初出。太平洋戦線の兵士たちに故郷の面影を彷彿とさせる歌として人気を集めたのが、ヒットの要因。
おそらく世界で一番売れたレコードで、数多くの歌手がレコードを吹きこんでいる。ビング・クロスビーが歌ったものだけでも、1970年までにアメリカ国内で6800万枚売れたという統計があるので、現在では優に1億枚は超えている。

ポピュラー・ソングの黄金時代

1920年代は、前段でふれたアービング・バーリンやジョージ・ガーシュインなど、優れた作曲家、作詞家たちを数多く輩出した時代で、その作品は、ブロードウェイ・ミュージカルを中心として上演されていきます。さらに20年代の後半には、ハリウッド映画が本格的なトーキー時代に入ることとなります。以降30年代の経済不況や、40年代の戦争など、時代背景を作品に色濃く反映しながら、50年代後半までアメリカのポピュラー・ソングはその黄金時代を謳歌することとなったのです。

ハリウッド映画界は音楽を使った作品を次々と制作し、映画俳優や歌手たちによる主題歌が人気を集めていきました。この間、ミュージカルの舞台からフレッド・アステアが映画入りしたのをはじめに、ラジオ界の人気タレントからビング・クロスビー、アイドル歌手からフランク・シナトラと、大物スターたちが映画入りしていくことになります。また、ヨーロッパのドイツからは、マレーネ・ディートリッヒもハリウッド入りしています。
今日スタンダード・ナンバーといわれている曲の大半が、この黄金時代を源泉としているのです。

マイ・フェイバリット・ソングズ
オーバー・ザ・レインボウ(Over the Rainbow)
作詞:E・Y・ハーバーグ/作曲:ハロルド・アーレン

ポピュラー・ソングの楽しみをお伝えするには、具体的な曲を紹介するに越したことはありません。挙げればきりがないので、ここでは超のつく有名曲2曲をご紹介します。
どちらもオリジナル・サウンド・トラックがベスト。この曲を演奏するとき、音楽家たちは、誰もがこのオリジナルをリプレイしながら演奏しているはずです。オリジナルを聴けば、さらにこの曲への愛着が湧くこと間違いなしです。

「オーバー・ザ・レインボウ」は、E・Y・ハーバーグとハロルド・アーレンが、1939年MGM社制作のミュージカル映画「オズの魔法使い」のために書いた曲で、主役を演じた当時14歳のジュディ・ガーランドが、14歳とは思えないほど情緒豊かに歌い、大ヒットしたものです。
歌詞の大意は、次のような内容です。

           虹の彼方にある素敵なところ、
           子守唄で聴いたことがある国
           空は青く、夢がかなう国
           鳥たちが飛んで行けるのだから、
           私にだって行くことができるはず………

ストーリーは、ジュディ・ガーランド演じるドロシーが、案山子(かかし)、ライオン、ブリキ男を従え、夢の国をめざすというもので、映画の最初と最後の現実部分はモノクロームで、夢の部分はカラーという、パート・カラーで撮られています。

プロデューサーは、主演の少女役に当初シャーリー・テンプルを予定しましたが、20世紀フォックス社がシャーリー・テンプルのMGM社への貸与を拒絶し、ジュディ・ガーランドが抜擢されました。また、この曲がカットされかけた話も有名で、テンポが遅いとか、なぜ農場で歌わせたのかとか、子供向けの歌なのにメロディが冒頭でオクターブも上がっては難しく歌えないなど、幾多の難関を乗り越えて私たちに送られた歌といえるでしょう。
なお、この映画は、アカデミー主題歌賞、ジュディ・ガーランドの特別賞の他、作品、特殊効果、オリジナル・スコアの計5部門を受賞しています。
アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As Time Goes By)
作詞・作曲:ハーマン・ハプフェルド
1931年のミュージカル「エブリバディズ・ウェルカム」のために書かれたもので、歌手のルディ・ヴァレーがRCAビクターからレコードを出した当時はさっぱりでしたが、1942年のワーナー・ブラザーズ社制作の映画「カサブランカ」のテーマに使われて、この曲は世界的な名曲となりました。
舞台は第2次世界大戦勃発後のカサブランカ。ハンフリー・ボガート扮するリックと、イングリッド・バーグマン扮するイルザは、パリ時代に恋の思い出を持つ男女。
カサブランカにあるリックの経営する店で、偶然2人が再会するシーン、ドゥーリィ・ウィルソン扮する店のピアニストのサムが弾き語りで歌います。

           これだけは忘れないでいてほしい
           口づけは口づけ、溜息は溜息
           どんなに時が経っても、
           当たり前なことは当たり前なことでしかない

           女には男が、男には女が必要
           誰もそれは否定できない
           昔から話は少しも変わっていない
           いくら時が流れても、
           いつでも世界は恋人たちを祝福している


映画では歌われていませんが、この曲には面白いヴァース(*2)がついています。大意を以下に簡単に紹介しておきますが、大不況の真っ只中という、当時の時代背景を痛切に訴えているようにも聞こえます。

           近頃、新発明とか三次元のこととか、
           気苦労のたねが絶えない
           アインシュタインの理論にも、もううんざり
           私たちは現実に立ち返り、
           緊張した状況を和らげる必要がある
           とにかく、進歩や理論がなんであれ、
           生きていくうえでは、
           動かしがたい事実ばかりなのだ


もうひとつついでに言うと、この映画も配役に変更があり、ハンフリー・ボガートが扮したリック役は、政治家転進前の俳優時代のロナルド・リーガンがやる予定だったということです。

*2 ヴァース(Verse)
曲の導入部分のこと。オペレッタやミュージカルで、セリフと歌を自然につなぐ役目を果たしていた。一般的にはあまりメロディックな旋律は含まず、語りのような感じで歌の主要部であるコーラス(Chorus)へ自然に流れ込むように作られている。

素材としての音楽
スタンダード・ナンバーのこれから

黄金時代のアメリカのポピュラー・ソングの特長は、演者の歌唱スタイルを重要視し、楽曲はその素材として考えていることです。その素材を提供してきたのが、ティン・パン・アレイであり、ブロードウェイ・ミュージカルであり、映画音楽でありました。そして、素材としてよく採り上げらられた曲が、今日スタンダード・ナンバーと呼ばれるものになっています。

しかし、1960年代のロック、フォーク時代以降、演者は自己のオリジナル曲を歌唱、演奏することとなり、これまでのような素材としての楽曲は求めなくなってきました。どんなにヒットしても、曲自体に演者のイメージが密接に結びついているため、素材になりにくくなっているのです。

21世紀となっても、ビートルズ・ナンバーや、スティービー・ワンダー、ビリー・ジョエルの曲のように、スタンダード化の進んでいるものもあります。ただ単に大ヒット曲ということではなく、やはり第一級のメロディー・メーカー、ソング・ライターの作品は、今後もスタンダード・ナンバーとして残っていくことと思います。

あれこれお話ししてきましたが、はじめにも述べたとおり、能書きは後回し。好きな音楽を好きなように聴くのが一番です。
それでは、"Listen to the music!"■



参考資料
■書 籍
「潜在脳の大研究」濱野恵一著 同文書院/「ヴォーカリスト334」音楽之社/「ヴォーカル読本」ジャズ批評社
「唇にジャズ・ソング」大橋美加著 ヤマハ/「ジャズ詩大全」村尾陸男著 中央アート出版

■ホームページ
"AMG All Movie Guide"…http://allmovie.com
"AMG All Music Guide"…http://allmusic.com



ページトップへフレームが表示されていないときはここをクリック!